私を形成する『影』の部分。
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小さな命 1
電話口の母は震える声で「甥が危篤で病院へ担ぎ込まれた」と
言っていた。まだ産まれて半年も経っていない妹の息子だ。

甥が病気をしていたという話は、一切耳に入って来ていない。
一体何が有ったのだろう。私は急遽、勤務先スタッフとの
飲み会をキャンセルして、甥が担ぎこまれた病院へ向かった。

病院へ到着すると、地下の個室で私の両親と妹と医師が
何か話をしている。状況が飲み込めないが、みな表情が険しい。

医師は「直接体内に管を通して蘇生を試みるには
臓器があまりにも小さすぎて困難だ」と言っていた。

医師は「心臓が止まってからどれだけの時間が
経っているかわからない。万が一、命が助かっても
『植物状態』は避けられない」と言っていた。

甥の蘇生は断念せざるを得ない状況だった。

最悪の事態に母と妹はその場で泣き崩れた。

信じられないことが起こってしまった。笑うことを
覚え始めたあの可愛いかった甥が、産まれて半年も
経っていない小さな甥が死んでしまったのだ。

私は突然の出来事に、涙も出ない言葉も出ない。
ただ呆然とその場に立ち尽くしているだけだった。

少し遅れて妹の嫁ぎ先の義母と義妹が駆けつけた。
個室の中の様子を見れば、最悪な事態であることは
一目瞭然だった。義母も義妹も嗚咽を上げ泣き崩れる。

まさにその場の状況は『地獄』そのものだった。
休戦
夫婦関係の修復を試みようと一旦は離婚を断念したが
元ダンナは相変わらず何を考えているのかわからない。
本人に尋ねても「俺は何も考えていない」と言ってのける。

今まで助言してくれていた母も電話すら掛けて来なくなった。
もう私は今の状況を打開する糸口を一人で見つけなければならない。

私は悶々とした日々を送っていた。

しかし私は仕事をしていたので、勤務中だけは私的な
シガラミから一切解放され、忘れることができるのだ。

「仕事が有る」ということは、とても有り難かった。

ある日、勤務先のスタッフが「一緒に飲もうか」と
誘ってくれた。そういえば結婚してから他人と外で飲む
機会が無かったような気がする。久しぶりの飲み会だ。

気心の知れた勤務先のスタッフと飲むことによって
少しでも気晴らしができると、私は楽しみにしていた。

私は一旦帰宅して、飲み会に出掛ける用意をしていた。
待ち合わせの時間になり、そろそろ出掛けようかと
自宅の玄関を出ようとした時に、電話が鳴った。

電話を掛けてきたのは、不本意ながら『冷戦中』と
なってしまった実家の母だった。どうしたのだろう。

電話口の母の声はひどく興奮して上ずっていた。
母との確執
元ダンナとの離婚を決意した私だったが、突然
「私は何か大それたことをしようとしているのでは」
と言う不安で一杯になり、手足が震え食欲も無くなった。

当時は今ほど離婚歴の有る者が、世間的に大手を振って
はばかれる時代では無かったように思う。言わば単に
『結婚に失敗した者』として、ひとくくりにされてしまう。

自信が無くなった私は元ダンナに離婚の撤回を申し出た。
と同時に母へも「再度、夫婦関係を修復してみる」と告げた。

優柔不断な私の申し出は、母の逆鱗に触れた。

母は元来、決断力が有り一旦決めるとテコでも動かない。
今まで娘の離婚問題を案じ、散々助言して来ていたのに
手の平を返された、裏切られた気分にでもなったのだろうか。

その日から母の態度は一変し、遭遇しても目も合わさない
口も聞いてくれない、実家の敷居もまたげない状態になった。

時間が経てば、母の機嫌も治まるだろうと甘い考えを
持っていたが、私は母が頑固だったことを忘れていた。

元ダンナにも私と母の間に確執ができてしまった経緯を
話したが、母を夫婦間の問題に巻き込んでいたことを
呆れ果て罵った。もう私を擁護してくれる者は誰もいない。

しかし私は母の行動を少し不思議に思っていた。

我が娘が自分自身の幸せを願い「夫婦関係の修復を試みる」と
前向きに考えたことに対して、なぜそこまで怒ってしまうのか。

ひょっとしたら私の母は、元ダンナを好いていなかったのかも知れない。

今更だが、私達夫婦はこの時点で『離婚』しておくべきだった。

この時点で離婚しなかった私達は、後に起こる出来事に
翻弄されて、完全に離婚するタイミングを逸してしまったのだ。
決断
結婚して二年目の春を迎え、私は元ダンナと
『離婚』することを具体的に考え始めていた。

私は母に会う度に、今度は離婚に向けて相談していた。
この頃の私は親離れが出来ていなかったのかもしれない。

母は『母親』であって、決して『友人』では無いのである。
私は母に離婚の相談を持ちかけることによって
母を夫婦間の問題に巻き込んでいたような気がする。

ほぼ方向性が見えて来たので、私は元ダンナに初めて
「離婚を考えている」と告げた。元ダンナは黙っていた。

この時元ダンナは「自分に非が有った」と思っていたのか
「来るべき時が来たな」と思っていたのか、それは今でも
わからないが、私の下した『決断』に納得したようだった。

私は離婚後に旧姓に戻るつもりだった。特に深い意味は無い。
まず旧姓で銀行口座を開設し、その帰りに役所で離婚届を
入手した。窓口の職員から用紙を受け取る時に少し手が震えた。

「この選択で良かったのだ」と自分自身に言い聞かせ
私は離婚に向けての準備を着々と進ませていた。

私達の住んでいた家は、私が父と共同名義で購入したもので
いずれ父の持分を元ダンナへと名義変更するつもりだった。

しかし名義変更する前に離婚することが決まると、必然的に
元ダンナが家を出て、私が居座る形となってしまう。自宅を購入
していたせいか、私は離婚後に実家へ戻ることは考えていなかった。

結婚と同時に入居した家に、離婚後は私一人が暮らすことになる。

私は突然、得も言えぬ不安に駆り立てられた。

私は元ダンナが家を出た後も、ここに住み続けなければならない。
世間は離婚して居座っている私を、どのように見るのだろう。
果たして平常心で、この地に住み続けることができるのだろうか。

それまでの離婚に向けての頑なな『決断』が一気に揺らいだ。
愚痴
元ダンナは一ヶ月ほど会社を無断欠勤していたが
『抗鬱剤』が効いたのか、突然出勤するようになった。

一ヶ月も無断欠勤して出勤する元ダンナも元ダンナだが
それを受け入れる会社も会社だな・・・と私は思った。
元ダンナはそれほど会社に必要な人物だったのだろうか。

出勤し始めた当日から元ダンナは酔って帰宅していた。

外的な病で無かったにしろ『病み上がり』には変わりない。
夫婦関係が破綻寸前だったとは言え、私が元ダンナの
先行きを、多少なりとも案じていたのは事実だ。

私は元ダンナの身勝手な行動に無性に腹が立った。

元ダンナに詰め寄っても、その時は素直に聞いているが
翌日になるとまた同じ行動を繰り返して、らちが明かない。

私は実家の母に会う度に不満をぶちまけるようになっていた。

私は元ダンナだけを『悪者』に仕立て上げ、自分の言い分を
正当化していたが、母は常に中立な立場で助言してくれていた。

しかし、そんな母も会う度に夫婦関係が上手く行っていない
ことを愚痴る我が娘の、精神状態が心配になったのだろう。

母は「一人で生活して行けるなら別れれば良い」と言った。

私の頭を初めて『離婚』の二文字がよぎった。
心の病
元ダンナは自分が『無断欠勤』していることを
私に知れてしまって安心したのか、その日から
自宅に居ることが多くなって来た。

元ダンナの「会社に行きたいが、行けない」という
意味はわからなかったが、暫く時間が経てばまた
行く気になるだろうと私も深刻には考えていなかった。

私の母は、当時も私の家に頻繁に電話して来ていたので
電話口に出ている私の周りの雰囲気を察することができる。
当然、平日に元ダンナが自宅に居ることを不審に思う。

私は元ダンナが不在の時に、自宅に居る理由を話した。

母はそれは『心の病』ではないかと心配し、一度
『心療内科』で診察してもらった方が良いと言った。

『心療内科』での診断で、元ダンナは軽度の『鬱病』と
認定された。私の周りに『鬱病』になった者はいないので
接し方がわからない。ただただ様子を見守るだけだった。

夫婦関係が円滑に行っているのなら、私は元ダンナの
『心の病』をとても心配に思い、力になろうとするのだろう。

しかし、その頃の私達の関係は破綻寸前だったように思う。
私は正直「厄介なことになってしまったな」と思った。

私は元ダンナが自宅に居る間も、仕事は休まなかった。

帰宅すると元ダンナが自宅に居ることが、少し嬉しかった。
私も元ダンナと同じくある意味病んでいたのかもしれない。

今思えば、私は元ダンナに何を依存していたのだろう。
無断欠勤
『夫の嘘』が発覚して以来、私は元ダンナに対し
不信感を抱き始め、関係は大幅にこじれて行った。

相変わらず元ダンナは毎晩酔って帰宅しており
暴力こそ振るわれ無かったが、罵倒されることも有った。

元ダンナは酔った勢いで私を罵っていたので、翌日には
何も覚えていない。素面で罵られた私はたまらないのだ。

元ダンナには月々決まった額しか渡していなかった。
しかし元ダンナは毎晩飲んで帰宅する。私は元ダンナの
懐具合が気になったが、あえて問い質したりはしなかった。

『真実』を知ってしまうのが怖かったからだ。

私の勤務先が定休日だったある朝、元ダンナが出勤した後
バタバタと家事などをしていると元ダンナの同僚から
一本の電話が掛かってきた。私は自分の耳を疑った。

元ダンナは何日も勤務先を『無断欠勤』していると言うのだ。

毎朝普通に家を出て毎晩酔って帰宅する。疑う余地は無い。

やがて帰宅した元ダンナに同僚から電話が有ったことを
告げて、私はなぜ『無断欠勤』しているのか問い詰めた。

元ダンナは「会社に行きたいが、行けない」と言っていた。

私には元ダンナの言葉の意味が全くわからなかった。
ハネムーン
妹に第二子が誕生して、自分が『妊娠』しない私は
内心で早く子供が欲しいと少々焦り始めていた。

知人から「SEXする環境が変われば妊娠しやすい」
と聞いていたので、二人で旅行してみることにした。

私達がした旅行と言えば、夏に元ダンナの両親が住む
南国に帰省したものだけだった。二人っきりの旅行
では無いし、SEXできる環境でも無かった。

旅行の申し込みをしたのは『夫の嘘』が発覚する
前だったので、私は複雑な気持ちで出掛けた気がする。

年末から正月にかけての一番代金の高い時期に
私達は北陸地方の温泉街に宿を取っていた。

大々的に宣伝しているわりには、料理もイマイチで
旅館側は繁忙期の為、私達は点々と部屋を移動させられた。

冬で外は寒く雨続きだった。私達は宿泊先だけでなく
天候にも見放されたのだ。『夫の嘘』が発覚した後の
旅行でも有り、そんな環境で妊娠などするはずが無い。

帰宅してから私は実家へお土産を持参した。

「旅行はどうだったか」と尋ねて来た母は、娘に
「楽しくなかった」と答えられ、とても驚いていた。

これが最初で最後の、二人っきりの旅行となった。
夫の嘘
元ダンナが「友人からお金を貸して欲しいと
言われたので用立ててほしい」と告げてきた。
金額的には数万円単位だったが、私は躊躇した。

私はその友人に会ったことがある。友人は大手の
会社に勤務しており、プライドの高い人だった。

そんなプライドの高い人が、わずか数万円の借金など
友人に申し出る訳が無い。自己で処理してしまうはずだ。

当時、私はまだ元ダンナの言葉を信用していたので
返済の目途だけ聞いておくように促して用立てた。
私達は人様を助けるほどの余裕は持ち合わせてない。

頃合を見計らって元ダンナに、友人からの返済が
どうなっているのか聞いてみた。元ダンナは既に
友人から返済してもらったと言っていた。

嫁から出たお金は、普通は返済されれば
そのまま嫁に回ってくるのではないだろうか。

元ダンナは相変わらず毎日飲んで帰宅していた。
いくら知り合いが経営している店だからといって
月々渡していた金額では賄えなかったのだろう。

本当は、お金を用立てて欲しかったのは
元ダンナの友人では無く、元ダンナ自身だったのだ。

私は自分の夫に『不信感』を抱き始めた。
近くに住んでいた妹に第二子が誕生した。今度は
男の子だ。妹も私と同じく長男に嫁いでいたので
古いかもしれないが『後継ぎ』を出産したのである。

私は順調に出産していた妹がとても羨ましかった。

姪も可愛い顔をしていたが、産まれたばかりの甥も
身体は大きかったが、顔は小さくて可愛いかった。

姪は妹宅の近所に住む嫁ぎ先の両親と接する
ことが多く、そちらには懐いていたようだが
私の父にはあまり懐いていなかった。

たまに実家で、父が姪をお風呂に入れている時も
まるで虐待しているかのような泣き声を上げていた。

私は子煩悩な父がとてもかわいそうだった。

姪が自分に懐いていない分、父は甥の誕生を喜んだ。
きっと今度は懐かせようと意気込んでいたに違いない。

妹は姪を嫁ぎ先の両親に見てもらうことが多かったので
甥は頻繁に実家へ連れてきていたようだ。父はとても甥を
可愛がっていて、私はいつも見ていて微笑ましく思っていた。

私は『不妊治療』を止めていたが『妊娠』を諦めて
いた訳では無い。子供が欲しいとずっと思っており
子煩悩な父に早く可愛がってもらいたかった。

この頃の私は『妊娠』しないことを焦り始めていた。

今から少し前に自宅に有る写真を整理していると
甥の写真が出て来た。妹が産後に実家へ戻っていた時に
たまたまフィルムが余ったカメラで私が写したのだ。

小さな布団で寝ていた甥は、カメラを持って近づいた
私の気配を感じたのだろう。こちらを向いていた。
目をパッチリと見開いて、こちらを見ているのだ。

写真の甥もとても可愛い顔をしていた。

しかし私達親族は、そんな可愛い甥のすくすくと
成長してゆく姿を見届けることはできなかった。
帰省
結婚して2度目の夏を迎えようとしていた。

私達夫婦は相変わらず淡々とした毎日を送っていたが
元ダンナの両親が住む南国へ帰省することになった。

私達は一緒になってから仕事の都合が合わず『新婚旅行』
というものに行っていなかったが、以前から元ダンナに
南国の話を聞いていて、一度行ったみたかったのだ。

帰省先は、まず飛行機で本島まで行き、そこから船に
乗って海を渡った小さな島に有った。さすがに『水牛』に
乗ってという訳ではなかったが、私は初めての経験だった。

諸島に到着すると、先に帰省していた義姉一家と合流した。

南国は都会と違い時間の流れが緩やかだった。海が近くに
有ったが、こちらでは見たことも無い鮮やかな『青』だ。

日中は元ダンナと親戚の家を一軒一軒訪ね、結婚した
報告をし、晩になると親戚やご近所が帰省先を訪ねてくれ
祝ってくれた。どこか懐かしい和やかな雰囲気だった。

途中で合流した義姉の娘二人も、私に懐いていたので
元ダンナと一緒に行動しなくとも、楽しく過ごすことができた。

私はそんな元ダンナの親族がとても好きだった。
みな性格が良く、私を大切に思っていてくれたからだ。

そして私達は現実逃避のような10日ほどの帰省期間
を終えて、また通常の淡々とした日々に戻った。

改めて思い起こしてみると、結婚してから楽しかった
『思い出』というのは、入籍して最初の数ヶ月と、この
元ダンナの両親が住む南国へ帰省したということだけだ。

それ以外に楽しかったことを、いくら思い出そうと
努力しても、記憶の中から全く探し出すことが出来ない。
不妊
相変わらず元ダンナは毎日酔って帰宅していたので
当然、夜の生活もままならない状態だった。

それでもなお、私は子供が欲しいと思い基礎体温を
計り続けており、排卵日を狙って義務的なSEXをして
いたが、なかなか妊娠に至らない。至るわけがない。

ひょっとしたら体質に何か原因が有るのかと考え
産婦人科で検査してみることにした。

やはり『不妊』の疑いが有るという診断が下され
定期的に通院し『排卵誘発剤』を打ってもらっていた。

『排卵誘発剤』を打ってもらった翌朝、元ダンナに
「今日はその日なので飲まずに帰宅してほしい」と
伝えるが、酒量を減らすだけで何も変わらない。

とりあえずまた義務的なSEXをしてみるが結果は
同じである。元ダンナの体質にも問題が有ったのかも
知れないが、あえて検査を強いることはしなかった。

元ダンナは『子供』が欲しく無かったのだろうか。

一緒になって二人で暮らしているというのに
私はなぜか、いつも『寂しさ』を感じていた。

今はたった一人で暮らしているが、二人で居た時の
『寂しさ』を思い出すと、孤独感など微塵も感じない。

やがて私は『不妊治療』を止めた。
結婚式
私達は入籍したが『結婚式』を挙げることについては未定だった。

入籍して1年経ち、私の母が「けじめとして一度披露宴
などをやってみてはどうか」と話を持ちかけてきた。

確かにこれから、今よりは確実に年齢を重ねて行くので
そうなる前に、みなに披露しておくのも良いかと思った。

元ダンナは乗り気ではなかった。

『祝い金』の二重取りになるのではないかという不安と
何より、義母が入院してから2ヶ月ほどしか経って
いないのになんと無神経な発言かという怒りからだった。

義母の件については無神経かとは思ったが、すでに退院
しており自宅療養中だったので、問題は無いと思った。

『祝い金』の二重取りの件については、そこまで羽振りの
良い親戚や友達などは居ないと思ったし、私達が費用を
全額負担すれば、そちらもなんら問題は無いと思っていた。

私は自分の意見を通すため、元ダンナを説得した。

この頃すでに元ダンナは、自分の思い通りに事を
運ぼうとする私を不快に思っていたに違いない。

結婚式及び披露宴はいわゆる『地味婚』となった。自宅で
療養中だった義母も南国から駆けつけることができ、私は
とても満足していたが、元ダンナはどう思っていたのだろう。

入籍して3ヶ月ほど経った頃『花嫁衣裳』を着て撮影した
アルバムが、いまだに押入れの片隅に残ったままだ。

離婚する時に処分しても良かったのだが、そこには
幸せな結婚生活を夢見ていた若き日の私の姿が写っている。

離婚してしまう結果など微塵も想像せず、アルバムの中で
微笑んでいる私自身を哀れに思い、処分できていない。
義母
義姉から元ダンナの母親が倒れて
緊急入院したと電話が有った。

いつものように酔って帰宅して遅い夕食を
摂っていた元ダンナにその事を伝えた。

元ダンナは黙って聞きながら泣いていた。

元ダンナの母親は大人しい人で身体が弱かった。
こちらに住んでいる時も何度か入退院していたらしい。

元ダンナが泣いていた理由は、自分が今まで散々両親に
『反抗』してきた事を悔いてのことなのだろうか。

私の実家は私達の住まいの近くに有ったので
何か有ればすぐに駆けつけることができた。

元ダンナの方は、そうはいかない。

元ダンナの両親はこちらの住居を引き上げて
南国の小さな島へ戻っていたからだ。

そんな元ダンナを可哀相に思い「仕事の都合が
付くならば、帰省したらどうか」と提案した。

元ダンナは私に、こう言った。

「お前は冷たい女」だと。

私はショックだった。私の実家のような境遇とは
違う元ダンナへの精一杯の配慮で提案したはずが
まるで冷水を浴びせかけられた気持ちになった。

それが酔った勢いだったのか、私の言動を何か
違う観点から感じていたのか、その時の元ダンナの
発した言葉の真意が今でもわからない。
正月
元ダンナには姉が二人居た。

下の姉には小学生と中学生の娘二人が居り
上の姉には3歳ぐらいの娘が一人居た。

結婚して初めての正月。私の妹の娘も含め、計4人の
『お年玉』のことを考える時期になっていた。

元ダンナの上の姉は『駆け落ち』して再婚しており
夫と二人の息子を捨てて現在の家庭に落ち着いていた。

しかし正月など親族が集まる時には、息子二人も
やって来るというのだ。私は正直とても驚いた。

自分達を捨てた母親にどんな思いで、息子達は
会いに来るのだろう。捨てられても母親は母親なのか。

私は元ダンナの南国に住む年老いた両親に、夏と冬に
仕送りをしていた。それは結婚した時に元ダンナと
交わした約束であって、なんら不満は無かった。

こういう考え方をしてはいけないのだろうが
私側の姪一人に対し、元ダンナ側は甥姪合わせて
五人の『お年玉』プラス元ダンナの両親への仕送り。

末っ子に嫁いでしまったが故、やむを得ないこと
だが、元ダンナは自分の親族のことばかり主張して
おり、私の親族に対しては『無関心』だった。

私は非常に不満を感じていたが、元ダンナもそんな
私の心情を読み取っていたのかも知れない。

こうした些細な感情のズレが徐々に積み重なって行く。
口論
私の父も元ダンナと同じく、工場勤務だった。
父もお酒を飲む人だったが、毎晩は寄り道しなかった。

父が帰宅するのを待って家族全員で夕食を摂る。
みな話好きで、その日有ったことなどを思い思いに話す。
『一家だんらん』のひとときである。

私は元ダンナと一緒に夕食を摂り『夫婦の会話』を
したかった。しかし元ダンナは酔って帰宅するので
会話にならない。私もストレスが溜まってくる。

翌朝、元ダンナが出勤する前に「今晩は飲まずに
帰宅して欲しい」と訴えるが、夫は同じことを繰り返す。

『夜の生活』なども当然、望める状態ではない。

二人は次第に『口論』するようになっていた。

二人とも日曜日が休みだったが、平日の『口論』が
後を引き、楽しく過ごせるはずなどない。

それでも私は『子供』が欲しかった。

『子供』ができることによって、今の私達二人の
関係が良い方へ向かうと信じていたからだ。
寄り道
元ダンナは毎晩、会社帰りに知り合いの
『飲み屋』に寄ってから帰宅するようになった。

思い起こしてみれば、一緒になる前に毎日のように
電話をもらっていたのも、『飲み屋』からだった。

私自身自分でもお酒を飲むので、元ダンナが
飲酒することについては何とも思わなかったが
私に対する『反抗』であると、まだ気付かなかった。

私も仕事をしていたが、慣れない主婦業も
できる範囲でこなしていた。毎晩ご飯の支度をして
夫の帰りを待つ・・・どう考えてもごく普通である。

元ダンナはそんな、型にはめたように真面目に
生活をしている私を見るのが嫌だったようだ。

『刹那的』な生き方をする元ダンナにとっては
それが暗黙のプレッシャーとなっていたのかもしれない。

帰宅した元ダンナは、空腹で飲酒していたため
かなり酔っていた。目の焦点は合っておらず理屈っぽい。

今でもその時の元ダンナの顔を思い浮かべると
嫌悪感を思い出し、軽い『吐き気』をもよおす。
歯車
私達が暮らしていた家は、古くて小さな戸建だ。

二人で住むには充分だが、やがて子供ができたら
手狭になる広さだった。老朽化も進んで行くだろう。
いずれ増改築することを考慮しなければならない。

二人とも働いていたので、元ダンナの稼ぎで生活し
私の稼ぎは貯蓄と臨時出費に回していた。
どこの共働きの家庭もそんなものだと思う。

『刹那的』な考え方しかしない元ダンナは
私が目標に向かって邁進する姿をみて、徐々に
否定的な意見を述べるようになって来ていた。

「世の中、そんなに自分の思い通りには行かない」と。

入籍して半年。この頃から二人の『歯車』は少しずつ
噛み合わなくなってきていたのかもしれない。

いや、本当は最初から私達の間には『歯車』など
存在していなかったのかもしれない。

あくまでも『堅実』に進もうとしている私への
元ダンナの『反抗』が始まった。
出世
工場に勤務していた元ダンナの出世が決まった。
夫の出世を喜ばない妻などいないはずだ。

私は『あげまん』というタイプでは無かったので
元ダンナの出世を手放しで喜んだ。私と一緒に
なってから自分の夫が出世したのだ。

元ダンナは3人兄弟の末っ子で長男だった。

南国から出てきて、決して裕福とは言えない
暮らしをしていた元ダンナの両親は、長男である
元ダンナに過度の期待をかけて育てたらしい。

元ダンナもそれを素直に聞き入れて育ったのだろう。

しかし、そんな元ダンナにも『反抗期』がやって来た。

せっかく入学した大学を、わずか一週間で辞めて
しまったのだ。それは自分に期待する両親に対しての
戒めだった。二十歳前の非常に遅い『反抗期』である。

知り合って、わずか半年で結婚してしまった私は
元ダンナという人間をあまりにも知らなさすぎた。

元ダンナは期待をかけると反抗するタイプの人間だった。

その頃、近所に嫁いでいた妹には
産まれたばかりの女の赤ちゃんが居た。
私と血のつながった初めての『姪』だ。

姪は顔が小さくてとても可愛いかった。
私は昔から子供があまり好きでは無かったが
血のつながった肉親の子供は可愛い。

結婚した当初は、しばらくは夫婦生活を
楽しむためにSEXする際も避妊具を装着していた。

姪を見ていて、私はとても子供が欲しくなった。

私の母は4度妊娠をしている。私はそんな母に
体質が似ていたし、月経周期も正常だった。

避妊することを止めたが、なかなか願いは叶わない。

私は自分の『基礎体温』を計り始めた。
新婚生活
タイミングが合って、勢いに乗っていれば
物事はスムーズに運んでいく。例えそれが
良くない方へ向かっていたとしても。

私達は知り合って半年で入籍した。
まるで『見合い結婚』のような展開になって
しまったが、私には何の不安も無かった。

結婚と同時にマイホームも手に入れた。
何もかもが順風満帆に進んだのだ。

元ダンナは優しい人だった。私達は共に仕事を
していたので、『家事』』が私一人の負担に
ならないように自ら協力してくれていた。

一緒に暮らし始めた頃は、毎晩SEXしていた。

「いつでもできる」という安心感からSEXの回数は
徐々に減って行ったが、夫婦はそんなものなのだろう。

私は幸せを噛みしめていたが、長くは続かなかった。

一生を懸けても『水』と『油』は融合しない。
新居
私は昔から分譲マンションが欲しくて、OLに
なり始めた当初からボーナスなどを預金していた。

10年近くOLをやっていると、貯蓄残高も
そこそこのまとまった金額になって行くものだ。

私達は二人で新しく『家庭』を築く場所として
賃貸マンションを探していた。

実家は父の『持ち家』だったので、私自身
賃貸マンションに対する知識はあまり無かった。

生活するのに便利な場所を限定していくと
間取りが狭いにも関わらず、賃料が高いものだ。

私は物件を探しているうちに、賃貸マンションに
こだわっているのが、もったいない気がして来た。

元ダンナに「家を買いたい」と話し、自分自身で
ある程度の蓄えが有ることを初めて明かした。

元ダンナは驚いていたが、文句を挟む余地は無い。
本人は一銭も頭金を用意できないのだから。

まだ元ダンナと入籍していない時だったので
私は父と共同の名義で中古の戸建を購入した。

いずれ父の持分を元ダンナへ名義変更するつもりで。

その時に購入した家に、今は私一人が暮らしている。
挨拶
元ダンナは毎晩のように私の自宅へ電話して来ていた。
両親も当然それが、私の新しい『彼氏』であることに気付く。

ある日、元ダンナは私の両親に「挨拶がしたい」と言った。

三十路間近の女の両親に挨拶がしたいと言えば
普通は『結婚』の二文字が思い浮かぶ。

私は両親に元ダンナを引き合わせることにした。

両親も今まで好き勝手にやって来た我が娘がやっと片付く。
相手の出所がよほど妙で無い限り反対はしない。

それは元ダンナの両親に於いても同じことが言える。
元ダンナの両親も親戚も私を暖かく迎えてくれた。

私は『通い妻』をする必要性が無いことに気付いた。
元ダンナの新しい住居は、私にとっても新しい住居になるのだ。

二人は新たに『家庭』を築くための場所を探し始めた。
通い妻
私も元ダンナもお互いに両親と暮らしていた。
二人のデートは必然的に「日中に外で」ということになる。

私達は会う度にSEXしていた。

何処かへ遊びに行くだとか、何かを見に行くだとか
そういった類のデートは一切しなかった。

私達は、ひたすら快楽に身を任せていた。

元ダンナの両親は南国からこちらへ出て来ていたが
元ダンナ自身は、こちらで産まれ育っている。

その両親が、住まいを引き上げて南国の地元へ
戻らないといけなくなったらしい。

元ダンナは、両親と一緒に南国へ戻ることは
考えていなかったので、自分の新たな住居と
なる場所を探さなくてはならない。

私は『通い妻』になるのだと思った。
SEX
元ダンナと知り合った当初は携帯電話もポケベルさえも
今ほど普及していない頃だったので、初顔合わせの
別れ際に、お互いの自宅の電話番号を交換し合った。

二人はデートを重ねた。

会う度に元ダンナが私に惹かれて行ってるのがわかった。

何度目かのデートの時に元ダンナは「そろそろ・・・」と
思ったのだろう。「私とSEXがしたい」と言い始めた。

元ダンナの話によると、昔から女性に不自由はしていない
らしく、そんな話を聞いている私も実は男性には不自由
していなかったので、お手並みを拝見することにした。

元ダンナの『SEX』は思いのほか良いものだった。

私はこの男とずっと『SEX』し続けたいと思った。
と同時に、この男の『子供』を妊娠してみたいと思った。

三十路を目前にしていた私の、人生最大の『過ち』を
犯そうとしていることに気付かずに。
きっかけ
私は離婚してから7年が経つ。

元ダンナと知り合ったのは、当時の彼氏と破局した直後だった。

当時の彼氏はあまり好きなタイプではなかったが
1年半ほど惰性で付き合っていて、そんな男でも
いざ別れてしまうと、寂しいものである。

まるで『アクセサリー』のひとつを失ってしまったように。

私自身は破局してしまったことに、さほどショックを
受けていなかったのだが、友達は色々と気遣いをしてくれた。

その頃、友達が付き合っていた彼氏の会社の同僚で
一人紹介してもいい人物が居ると話を持ちかけられた。

それが7年前に別れた『元ダンナ』。

年齢は少し離れていたが、好みのタイプだった。
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